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トップ  >  上野の名所旧跡  >  西郷隆盛像
 上野公園での待ち合わせ場所を、上野公園の象徴となっている“西郷さん”の前にする人が多い。
西郷さんとは、上野を知る者知らぬ者、一同が目印にしている西郷隆盛銅像のことで、それだけ西郷さんがだれからも親しまれているという証拠だと思う。
像は愛犬を連れ、筒袖に兵吉帯、草鞋ばきというスタイルである。
像は、下谷竹町に居住した高村光雲(詩人高村光太郎の父)が制作し、西郷の庶民性を特に強調した表現がとられた。
西郷南州隆盛(1827〜1877)は、明治維新の析、討幕の作戦を指導し、江戸城明け渡しを成功させるなどその立役者となるが、のち征韓の意見が容れられず、大久保利通(1830〜1879)と対立、故郷鹿児島に帰り、西南の役を起こして敗れ、自刃した。
隆盛は一時、朝敵の汚名を受けるが明治二十ニ年憲法発布の折許された。
銅像の建立は、明治二十四年、旧友で時の宮内次官古井友美らの呼びかけにより、その生涯庶民的感情をとおした悲劇の国民的英雄に共感する二万五千人もの多くの人から寄金が集められ、明治三十一年十二月十八日除幕式が行われた。
最初は皇居前広場に建てる予定だったのを、政府をおもんばかってか上野に変更したといわれる。
すでに上野の名は、庶民的場所としてとおってもいたのである。 犬の制作は美術学校(現芸術大学)教官の後藤貞行で、鋳造は谷中在住の岡崎雪声だった。
西郷さんの目はどこを見ているかということで、近年、東京湾上に注がれているということが南州会の人たちの調査で判明したが、その話から思うのは、建立のころ、浅草向柳原近くに光雲が造った女性の巨像があり、それと目線を合わせたのかもしれない、との粋な推測も立てられそうである。
大正十二年九月一日の関東大震災の折は、西郷銅像の活躍は大きかった。
それを目印に肉親、縁者の安否や立退先を書いた貼紙が銅像にすきまなく貼られて、動揺する人びとの大いに手助けとなったからである。  折にふれ清拭されて、輝くような西郷銅像を見るとき、銅像が何を見てきたか、人びととどう係わってきたか、積もる話で尽きないのではないか、ふとそう思うことがあるが、これからも西郷銅像は、庶民と係わりをもつ歴史を体験していくことになるだろう。
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