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トップ  >  上野の名所旧跡  >  清水観音堂
 舞台造りの清水観音堂からの眺めは、まさに江戸名所の一つであり、不忍池を見下ろす錦絵は広重ほか多くの絵師たちによって描かれたほど、風光明媚な場所とされた。清水観音堂は現存する寛永寺の建造物では、寛永八年(1631)創建というから一番古く、安永年間(1772〜81)修理されただけで、現在、国の重要文化財に指定されている。        清水観音の本尊千手観音像(国指定重要文化財)は恵心僧都(940〜1017)作と伝えられるものだが、江戸では観音信仰としての参詣者が多かった。  観音堂内には本尊千手観音の縁起を現わした寿香亭守一の寛政十二年(1800)奉納したという「盛久危難の図」が掲げられている。『江戸名所園会』に、平家滅亡後、主馬盛久は逃れて京都の清水寺に千日祈願をするが、源氏の追跡で捕えられ、由比ケ浜で打首となる寸前、首を斬ろうとする刀杖段々に折れて、清水観音の加護により命を助けられた話として伝えられている。
それらから信仰に寄せて、庶民は、そのご利益、ご加護を授かろうとしたであろう。今なお清水観音堂には千羽鶴がところせましと奉納されて、祈願の跡は絶えないでいる。
元禄十一年(1689)の大火で、上野忍ケ岡にあった幕府学問所が焼失し、その跡地に摺体山から清水観音堂が移築された。
将軍家光は儒者の林羅山に忍ケ岡の地を与え、学問所と書庫を建てさせたが、その後、尾張藩主徳川義直が先聖殿を寄進して、上野に幕府学問所が成立した。
将軍綱吉は、上野の学問所にあった先聖殿をみて、元禄三年(1690)湯島により大きな先聖殿建設を思いたったといわれる。
その敷地は現在の湯島聖堂(文京区湯島1−4−25)を含め、その西側の東京医科歯科大学及び周辺の敷地まで網羅したというから、綱吉の幕府学問所充実の意志は相当なものであったに違いない。
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