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トップ  >  上野の名所旧跡  >  上野東照宮
 徳川家康が元和一年(1616)四月十七日没したのち、その霊廟としての東照宮造営が各地に起こったが、上野東照宮は、最初藤堂高虎(1556〜1630)が寛永四年(1627)に高虎の屋敷内に造営したものだった。

 江戸城紅葉山にも東照宮が造営されたが、特に一般市民にも参詣できるようにとの配慮から、浅草寺境内淡島堂付近に浅草東照宮が造営されてもいた。しかし、その建物は寛永十九年(1642)焼失したため、浅草東照宮に代わるべき東照宮建立が家光によって進められ、慶安四年(1651)上野東照宮として新たに再建されたのが現在の東照宮だった。

 寺い戦災を受けず残り、修復して現在公開されているが、権現造りの建物の内外とも日光東照宮に見劣りしない内容で、本殿、幣殿、拝殿、唐門、透塀と共に国の重要文化財に指定されている。社寺建築としての権現造りは平安時代に始まり、その起源は京都北野神社が最初といわれるが、宝町時代以降大いに流行した造りだった。拝殿と本殿の問をつなぐ石の間が特徴で、のちに板敷き(相の間の称)になったが、上野東照宮の場合は畳敷きである。

 境内に寄進されたもので目立つのは、東照宮建立奉行阿部重次の水盤舎、古河城主土井利勝の五重塔と、当時の石工や大工、鋳物師などの知恵、工夫が随所にみられるものばかりで、そのうち五重塔は寛永十六年(1639)の薬師堂からの出火で延焼し、塔は同年再建されたものである。露盤銘に大工甲良宗広、宗久、鋳物師椎名兵庫の名がみえ、九輪までの高さ約三十六メートル、五層全体が和様式をとり、国の重要文化財に指定されている。現在、東京で江戸時代の五重塔というと、池上本門寺(慶長十二年建立)と上野の二つだけになってしまった。

 東照宮を取巻く灯籠のうち、特に社頭に上野点熊宮建つ五十基の青銅灯籠は、銅造灯籠としての格式の高さから国の重要文化財に指定され、寛永五年(1628)家康十三回忌に奉献の藤堂島虎の一基を除き、他はすべて家康の三十六回忌に当たる慶安四年四月十七目奉献されたものである。

 東照宮の周囲には石灯籠が二百数十基あるが、その中で大鳥居に向かって左側の草叢の中に、巨大な石灯籠のあるのに気づかれよう。高さは約6.8メートル、竿石の周り3.6メートル、その大きさからお化け灯籠の名もついたが、奉献者は佐久間大膳といい、徳用家康のもとで関ケ原合戦に従事した盛次の子で、戦国の豪将と伝えられている。なお、大膳は同じ形の巨大な石灯籠を、熱田神宮と京都南禅寺にも寄進している。

 東照宮参道入口の石造の明神鳥居は、寛永十年(1633)上州廐橋城主酒井忠世が奉献したもので、回の重要文化財に指定されている。この鳥居は天和年間(1681〜83)に一時取除かれ、地中に埋められていたものを享保十九年(1734)酒井忠知が掘り起こして同じ場所に築造した。明神鳥居は笠木に反りをつけ、柱のふもとをやや開き、豪壮で安定感を示しており、関東大震災にも揺るがなかった。
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